【サピックス(小5)】自主性の醸成・・・中学受験から撤退する親の覚悟

中学受験

我々夫婦は共働きで、親がつきっきりで子どもの勉強を見ることはできない。

子どもが学校から家に帰ってきて、

「誰もいないからテレビ見ちゃおう」と、

ひとりでいるときに遊んでいるようでは、成長は期待できない。

うちの長男は、前回に記載した通り、

指示待ち人間になってしまっていて、自分から勉強する意識が極めて低かった。

そう、極めて低かった(過去形)

我々夫婦の対応を思い切って変えることによって、長男も徐々に自主性が芽生えてきたのである。

それはなにか。

自主性の醸成

子どもが自主的に勉強してほしいと思うのはどの親でも共通した願いであろう。

自主性を育むには色々と親の対応もあるだろうが、我が家は長男に

「もう、中学受験はやめよう」

と思い切って言った。

今までも何回かこのやり取りはあったが、

長男は心のどこかで「どうせ続けるんでしょ」という思いがあったのか、

我々のメッセージを本気に受け止めず、のらりくらりと続けてきてしまった。

だが、5年生の夏期講習が終わり、いよいよ成績が過去最低レベルに下がっている現状を目の当たりにし、

「やる気がないならこれ以上お金は出せない」と伝えた。

5年生になってからの成績がどんどん下降気味で、

その結果を受けて、妻がもう中学受験撤退モードに入ってきていた。

それを父親の俺が止める形で、「頑張ればやれるぞ」と長男に声がけしてきた。

そう、長男としては「パパは続けさせてくれる」といった安心材料となっていたのだ。

だが、依然として長男は、ひとりになるとテレビやYoutubeを見ている状態だったため、

もう、俺としても本気で中学受験をやめさせようと考えた。

「地元の中学に進学するんだ。今の友達と一緒に中学校行くのもきっと楽しいぞ」

と伝えると、長男は「え・・」と少々驚いた表情となり、さらに俺は続けて言った。

成績の善し悪しではない。

しっかり自分でやれるようにならないならもうやめる。

そのやる気が見られない場合、

11月のテストをもってやめる」

選択肢を与えること

厳密にいうなれば我々の対応は選択肢を与えるということではないのだが、

長男に「中学受験撤退」ということを、現実のものとして考えさせた。


俺の知り合いにいるのだが、

子どもが「もう勉強したくない」と言っているにも拘わらず、

親は「やめる選択肢はない」と言って、無理やり勉強させている家庭がある。

子どもがやめいたい、と言ったのであれば

親としては子どもの意見を尊重し思い切って中学受験から撤退すべきなのだが、

その決断を親ができない。


サンクコストバイアスという心理学的用語がある。

それは、いままでかけてきた金銭や労力を考えると、

その対象から撤退できなくなるという感情を表したものだ。

5年生の後半、いままでかけてきたお月謝は100万円を超え、

友達と遊ぶ時間を削り、我慢して机に向かってきた時間は相当なものになっている。

それを考えると、子どもが勉強をやめたいと言っても、

「いままで頑張ってきたのだから、もうちょっと続けてみようよ」と促す気持ちは当然ある。

だが、続けるかどうかを子どもに選ばせず、

「継続の一択しかない」とさせると、子どもの自主性はなかなかでてこない。

以前、ネットの記事にあったのだが、子どもの自主性を育む方法として、

「子どもに選ばせる」というのがあった。

「これをやりなさい」というのではなく、

「これとこれなら、どっちがいい?」と二つの選択肢を提示して子どもに選ばせるというのだ。

こうすると、子どもは「自分が決めたんだから」という意識が出て、徐々に自主性が芽生えてくる。


そう、親は子どもに対して

「中学受験を続けるのかやめるのか、自分で決めるんだ」と、

子どもに決めさせなくてはならない。

これはなかなか親としては勇気のいることではあるが、

中学受験は親も試されているのだ。

だからもし、我が家もこの先長男の気持ちが変わり長男が中学受験をやめると決断した場合、

この中学受験シリーズは突然打ち切られる可能性がある。

子どもの変化を注視する

長男の自主性が徐々に出てきたのだが、その自主性にもだいぶムラがある。

学校から帰って図書館に行き3時間勉強することもあれば、

まったく勉強せずに、友達と公園で遊ぶ日もある。

「テスト近いから、今日は学校から帰ったら遊びに行かずに勉強しよう」

と朝言っても、学校で友達と遊ぶ約束をすると、楽しい方にどうしても体が動いてしまう。

そしてさらに悪いことに、

「遊びに行ってない、勉強した」と嘘をつく。


何度も裏切られる思いをしたが、マイナス面みて怒るのではなく、

図書館で3時間勉強することもあるというプラス面に注目するようにした

嘘をつくというのは、自分でも悪いと思っているのだ。

ただ、目の前に楽しいことがあれば、自制心が働かなくなるのは大人でもあること。

マイナス面はなかなかゼロにはできないので、

マイナス面が少なくなっていることや、プラス面が増えている微妙な変化を見てあげて

「大丈夫、成長しているぞ」と褒めてあげることが肝要だと思っている。


大人としてはどうしても減点方式で子どもを見てしまう。

「勉強するのは当たり前。遊びに行っている場合ではない」

と頑張って勉強したことを当然のこととしていると、子どものやる気はなかなか出てこない。

そしてこれは子どもだけでなく、大人にも言えることだ。


以前、陸上の短距離選手である末續慎吾を特集しているテレビ番組があった。

その番組では、末續選手が精神的に追い込まれていた時期があったと放送していた。

末續慎吾、五輪銀メダル獲得後の空白の9年を明かした 恩師「自殺するんじゃないかと…」 : スポーツ報知 (hochi.news)

当時、日本の短距離界のエースとして周囲から期待されていたため、

例え100メートル走で優勝しても、日本新記録が出てないいことで観客席から

「あ~、、、」と会場全体がため息に包まれるというのだ。

日本一になってもため息をつかれる状況・・・

これなんかは、減点方式の典型と言えるだろう。

期待値が大きいとその期待に届かない場合、評価されることがまずなくなってしまう。


これを書いている俺自身でも、長男がテストで90点を取ってきたときに、

「取れなかった10点ってどこなの?次はしっかりとれる?」と、減点方式の対応をしている事がある。

良い点数を取ってきたときは、なんせ褒める!!

これはしっかりやっていこうと思う。

長男の些細な変化

5年生の後半になると、サピックスの社会に歴史が入ってくる。

ここで長男に些細な変化が起きた。

歴史に興味を持ち始めたのだ。

ある程度勉強する内容は長男に任せているのだが、

夕飯時とかに「今日はなにやったの?」と聞くと、まず社会と答える。

「また社会か・・、他もやった方がいいんじゃない??」と言ってしまうこともあったが、

ここはしっかり褒めてあげることが重要。

興味を持ち出したことはとてつもないプラス面だ。


そして、社会の勉強を進めていくに伴いさらなる変化が。

毎回の授業で行う確認テストの結果を広げて、点数の低い箇所を調べ始めた。

そう、自分から弱点の克服に向けて動き出した。


やるじゃねぇか!!(激嬉)


そうなってくると、他の教科に対しても変化が出てくる。

「算数のこの部分が、ちょっと良くないんだよね」

と言って、算数の苦手な箇所についても勉強し始めた。


長男に自主性が現れ始めた。


こっからだ・・・、


こっから駆け上がるぞ!!


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