12月~1月の直前期
サピックスでは12月末までに過去問は一通り終わらせて、
1月は演習を中心に勉強することを勧めている。
俺自身は中学受験を経験していないし、子どもも第一子ということで
12月~1月はそういう過ごし方なのかと思っていたが、
1月に入ってからの長男を見て、過去問は適宜取り入れていかないといけないと考え直し始めた。
と言うのも、12月の初旬のサピックスオープンを最後に、
ほぼ2か月間、偏差値の出るテストを受けないためである。
そう、それはすなわち戦場から遠ざかることを意味する。
スポーツでも試合が無いと緊張感のある練習ができなくなる。
すなわち、1か月後に試合があると考えるのと、
明日、日本最強の山王と戦うと考えるのとでは心の準備が全く異なってくる。
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ただ漫然とジャンプシュートやレイアップの練習をしていても、
山王戦でしっかりプレーができるかは全くの別問題だ。
3年生からサピに入って以降、2か月間もテストを受けないことはなかった。
ほぼ月1回はテストを受けてきたので、それに向けて仕上げていく戦い方をしていたが、
2か月もテストを受けないとなるとモチベーションの維持が難しくなってくる。
1月は学校を全休していて、サピが無い日は一日中家で勉強しているのだが、
その割には進捗が悪く、だらだらしている時間が徐々に多くなってきていた。
家庭教師の先生が出してくれた「予習シリーズ」についても、
日々のノルマをこなすだけになっていて、試験本番を意識した勉強になっていなかった。
そう、直前期こそ過去問に取組んで、実戦の感覚とモチベーションの維持を図る必要がある。
過去問への取り組み
サピでは9月に入ったら、有名中学の過去問をやらせている。
夏休み明けるころ、この問題集にある比較的偏差値の低い学校の問題から取り組ませる。
ただ、偏差値の低い学校の過去問でも想像以上に難しく、大体の場合、ここでみんな過去問の難しさに愕然とするらしい。
アルファクラスの子でも、9月時点では御三家レベルの過去問をやることを勧めていない。
サピとしては9月から比較的偏差値の低い学校の過去問を始め、徐々に自分の志望校に近い問題に取組み、
12月末までに過去問を仕上げて1月は演習中心の勉強に移行していく。
しかし、「12月末で過去問を仕上げる」というスピード感が少々速すぎると、
うちに来ている家庭教師の先生は指摘している。
そう、サピの指導方針だと、子どもの性格にもよるだろうが、
1月の直前期に実戦の感覚が弱まる可能性がある。
特に1月は我が家のように小学校を休んで勉強に全振りし、
自宅にいる時間がかなり長くなっている家庭も多くいることだろう。
そこのモチベーションの維持にはやはり実戦形式の過去問に取り組むべきなのだ。
直前期の伸びを信じる
受験生は試験前日まで成績が伸びる。
これはよく言われていることだが、この言葉を信じるのとそうでないのとでは
学力の伸び方にも差が出てくると俺は思っている。
2か月もの間、偏差値が出るテストから遠ざかり、
最後に受けたテストの偏差値が最終着地点と思い込み、
「結局自分は偏差値40台だった・・」とネガティブな思考を引きずっていると、
直前期に起きる急激な成長を逃してしまう可能性がある。
家庭教師の先生も言っていた。
「サピの偏差値は気にするな」
サピの偏差値は、ある程度の目安になるとはいえ確実な指標ではない。
自分が受ける志望校の問題の相性もあるから、
偏差値が低い学校でも問題の相性が悪ければ合格する確率は低くなってしまう。
努力する者
1/28(火)、サピの最後の授業。
サピに向かう長男を見るのはこれで最後となる。
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小学3年生から今まで4年間、途中コロナや胃腸炎にかかって休んだこともあったが、
「行きたくない」と言い出したことはなかった。
クラスは下位~中程度をうろついていて、結局上位クラスには食い込めなかったが、
その割には嫌にならず、へこたれず、しっかりと6年生の最後までやりきった。
長男にとってサピックスは楽しかった。
よく中学受験を揶揄する人がいて、
「大手進学塾S」と表記し、その勉強方法クラスの階層構造等を批判する記事をしばしば目にするが、
実際に通っている長男の話を聞く限りだと、先生や生徒は明るく楽しく勉強をしているようだった。
もちろん、サピが合わなかったのか、途中で抜けていった子達はいるのだが、
合わなかったり嫌になったりで去っていくのはどの習い事でもあるものだ。
ドラゴン桜でもあったのだが、
スポーツの習い事は世間一般的に受けがよい反面、
「塾で勉強している」と言うと、眉をひそめる人がある一定数存在する。
そういった塾反対論者の意見としては、
「子どもの頃からやりたくもない勉強をさせている」というものだろうが、
そもそも「子どもは勉強したくないもの」という前提を置いているのが間違っていないだろうか。
それは塾反対論者が「勉強は嫌なもの」と思い込んでいる所に起因している。
確かに、長時間座って勉強するのは大変ではあるが、
スポーツでも音楽でも何かを習得しようとしたら、肉体的にも精神的にも相当の負荷がかかるもんだ。
その大変さを勉強に関してはクローズアップして、勉強以外は美談として語ったりする。
それと、これは勉強に限らずだが、
努力をしている人をみると、努力をしてない人はその姿を見て嘲笑するところがある。
昔でいうと中島みゆきの「ファイト」という曲に、
「戦う君の歌を 戦わない奴らが笑うだろう」というフレーズがあるし、
最近でいうと「弱キャラ友崎くん」というアニメに次のようなワンシーンがある。
努力をしていない人は、努力をしている人と一緒にはいられない。
そう、努力する人のエネルギーに弾き飛ばされる。
そして努力していない人と交わるようになり、居心地の良さを感じて安住する。
「類は友を呼ぶ」とはまさにこのことだ。
サピの仲間は努力する集団であり、この仲間と一緒にいると自然と勉強するようになる。
夏期講習、SS、冬期講習、正月特訓などとんでもない時間をこの仲間達と共にしてきた。
最終的に長男はBクラスであり、いわゆる下位クラスでサピを卒業するわけだが、
下位クラスでも6年生の最後までサピで勉強できたことは大いに誇っていいと俺は思っている。
そして、
最後のサピから長男が帰ってきた。
(手前の青いジャンバーを着ているのは、一緒に迎えに行った次男)
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今まで何度も駅まで迎えに行ったが、とうとうこの日が最後のお迎えとなった。
何というか、感慨深いというか・・
帰ってきた長男に、
「最後のサピ、どうだった?」と聞くと、
「いや、別に普通だった」となんともそっけない感じ・・
感慨深くなってしんみりしているのは俺だけか・・
サピも終わり、家庭教師の授業も終わった。
そして、1月31日の夜。
長男はいつもより早く布団に入った。
明日が決戦の日!!